
お水取り
東大寺二月堂では、毎年3月上旬に「お水取り」が行われます。この行事は752年に始まり、現在まで途切れることなく続けられています。東大寺の長い歴史の中には、焼き討ちなどの大きな災難が何度かありましたが、その間もずっと続けられてきました。

生駒山に沈む美しい夕日を見ながら、お水取りが始まるのを待っています。
人々の向こう側にある登楼を、練行衆が一人ずつ登っていくときに、その足元をお松明で照らし、その後、舞台をお松明が駆けます。
お水取りは、正式には「修二会(しゅにえ)」と言い、主な目的は、東大寺の選ばれた僧侶たち・練行衆(れんぎょうしゅう)が過去一年間の罪を、人々に代わって懺悔し、新たな一年の平和と繁栄を祈ることです。
3月12日の夜に本尊に供えるお香水(おこうずい)を汲み上げる行事があることから「お水取り」と呼ばれています。
また、二月堂のお水取りには、篝火を焚く「お松明(おたいまつ)」の儀式も含まれます。「お松明」の名は、お水取りの行を行う練行衆(れんぎょうしゅう)たちが、二月堂に登壇する際に足元を照らす大松明で先導されることに由来しています。その後、この松明は回廊を駆け、舞った火の粉が見物客の方に降り注ぎます。この火の粉を浴びると、厄除けや無病息災をもたらすと信じられています。
なお、お水取りは、奈良に春の訪れを告げる行事とも言われています。

あたりが暗くなり、お水取りの始まるのを待ちます









この日の「お松明」が終わりました。
なら瑠璃絵(るりえ)
- 2024年の瑠璃絵 2月8日(木)~2月14日(水)

東大寺大仏殿のライトアップ
夜、大仏殿が無料開放されました。
普段は開けられていない中門から、この夜は特別に入ることができました。



南大門の阿形(あぎょう)
口の形が「あ」を発音する形です。
「あ」は、ものごとの始まりを表します。
この日は、特別にライトアップされ、普段は見えにくい「お顔」がはっきりと見えました。

南大門の吽形(うんぎょう)
口の形が「うん」を発音する形です。
「うん」は、ものごとの終わりを表します。
鎌倉時代の初め、運慶・快慶を中心にした仏師たちの作品です。

春日大社の参道の入口

春日大社の二の鳥居

燈籠に灯がともりました。


春日大社本殿入口

国宝殿の壁に映し出されました。


春日大社の参道
左側が飛火野(とびひの)です

参道横に、主祭神のタケミカヅチのお話を紹介していました
使者のタケミヅチは逆さに刺し立てた剣の切先に座り
あなたの国を天の御子に譲ってもらえないかたとたずねました
武甕槌命(タケミカヅチのみこと)は、春日大社の主祭神です。
奈良時代の768年に、白い鹿に乗って、鹿島大社(茨城県)から、この地にお越しになりました。
タケミカヅチのみことは、国譲り神話で有名です。
この地を支配していた出雲の国の大国主に、天照大神の指示で、国を神々に譲るように説得にきました。
その時に、タケミカヅチのみことは、浜に剣を逆さまに立て、その剣の先にどっかりと胡坐(あぐら)をかいて座り、談判しました。

白き神鹿にのり
いざ鹿島を立たんとするときに、鹿島の神官がすすみ出て
- 2020年の瑠璃絵(コロナ禍の直前)

この年は、奈良公園の中にある「国際コンベンション施設『奈良春日野国際フォーラム 甍~I・RA・KA~』」がメイン会場でした。
瑠璃絵の名前のように、瑠璃色を中心に、美しいイルミネーションでした。



春日大社の二の鳥居横では、獅子舞が見られました。


燈花会

8月5日ごろから14日まで

猿沢池の横

浮見堂

浮見堂

東大寺参道横の浮雲園地です


奈良ならではの光景です。
春日若宮おん祭り

「春日若宮おん祭り」は、春日大社の摂社「若宮(わかみや)」のお祭です。
平安時代の1136年に始まり、約900年もの間、途切れることなく続いています。
このお祭りは、五穀豊穣や平和を祈願するために行われる重要な行事です。
祭りの期間は4日間で、中心となるのは12月17日の「遷幸の儀(せんこうのぎ)」です。
この儀式では、若宮神(わかみやのかみ:春日大社の御子神)が仮の御殿(お旅所)に移られます。
ハイライトの「お渡り式」では、伝統衣装を身にまとった人々が奈良の町を練り歩き、当時の歴史や文化を体感できます。また、雅楽や舞楽などの伝統芸能も奉納され、見どころが満載です。
地元の人々に愛され、奈良の冬を彩る風物詩として、多くの観光客も訪れる行事です。
お渡り式の様子を写真で紹介します。



「おん祭り」の行列のスタートは、県庁前の登大路園地です。
ここからスタートして、近鉄奈良駅前やJR奈良駅前を通り、三条通りを春日大社方面に進みます。







南大門 交名の儀(きょうみょうのぎ)
興福寺の五重塔の南側で行われます。もともと、興福寺の南大門があった場所だそうです。
もともと、この「おん祭り」は、興福寺の主催で行われていましたので、興福寺への敬意を表すために、また興福寺は「祭が正しく行われているかどうか」を点検をしました。
参加者は、ここで行列を止め、作法にのっとって、声高らかに名乗りをあげました。







聖武天皇祭

5月2日は、聖武天皇が亡くなられた日です。
聖武天皇は奈良時代の743年に、「大仏建立の詔」を発布されました。その9年後の752年に大仏開眼供養が行われました。
大仏殿の裏手にある、正倉院には、聖武天皇の遺品がたくさん保存されています。

東大寺本坊
この日は、一般の者も入れます。

法要


大仏殿前の鏡池で、神楽(かぐら)が奉納されました。


饅頭祭(林神社)

漢國神社(かんごう神社)
漢國神社は、近鉄奈良駅から南に50mほどの所にあります。
林神社(りん神社)は、この漢國神社の右手奥にあります。

林神社の「饅頭祭り」は、毎年、4月19日に行われています。
全国の菓子業者が神前に銘菓をお供えします。
「祈りの回廊」という奈良県観光局が発行している情報誌に、漢國(かんごう)神社・林(りん)神社の宮司さんのお話が掲載されていました。大変、興味深いお話でしたので、要約して次に紹介します。
室町時代の初め、京都の建仁寺に、ある禅僧がいました。彼は修行のために中国に行きました。そこで林浄因(りん じょういん)という現地の若者と出会い、この若者は、この禅僧を師と仰いで、帰国の際に日本についてきました。師匠は京都の建仁寺に戻りましたが、林浄因は建仁寺に住むことは許されず、奈良の漢國(かんごう)神社の近くに住むことになりました。
林浄因は、京都の師匠を訪れるときにお土産を持参しました。最初は、当時の中国の主食であった饅頭(マントウ)という、小麦を練って、中に肉を入れて蒸しあげたものをお土産に持参しようと考えました。しかし、お寺には肉入り饅頭は適さないため、小豆の餡(あん)を詰めて蒸しあげた、現代の饅頭(まんじゅう)を作りました。これが多くの人々に気に入られ、広まりました。
当初は上流階級だけが楽しむものでしたが、江戸時代に庶民にも広がりました。特に元禄時代(1680〜1709年)、東大寺の大仏修復の際、多くの参詣者が奈良に集まり、まんじゅうが全国に広まりました。当時、奈良には25軒ほどのまんじゅう屋があったと言われています。江戸時代は、奈良のみやげと言えば「まんじゅう」だったそうです。









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