JR奈良駅・近鉄奈良駅から東大寺へ – 駅からの歩き方

大仏殿西側の芝と鹿たちの写真 文化や歴史

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JR奈良駅前(東口)~猿沢池手前まで

JR奈良駅

JR奈良駅の東口です。
春日大社や東大寺へは、東口からスタートします。

歩道に書かれているのは、
 奈良公園行のバスは右斜め前から
 東大寺や春日大社までは3km です。

東大寺や春日大社まで歩く場合は、少し上りで、約50分です。

バスで行く場合は、2番バス乗り場から発車するバス(市内循環又は春日大社本殿行)に乗り、「東大寺大仏殿前」で降ります。
もしも、春日大社本殿行のバスなら、「東大寺大仏殿前」ではなく、「春日大社本殿」で降りてもよいです。

奈良市総合観光案内所

奈良市総合観光案内所
JR奈良駅の東口にあります。
1934年(昭和9年)に建てられた旧JR奈良駅の駅舎を保存するために駅から少し移動させて、現在、観光案内所として使っています。スターバックスも一角に入っています。
屋根に相輪(そうりん)が付いているのが特徴です。
奈良の地図や案内が必要なときは、ぜひ利用してください。

三条通り入口

JR奈良駅東口から三条通に向かいます。
写真のような二つの石灯籠の間を歩いていきます。
春日大社参道の常夜灯です。

石灯篭の横に立つ石碑には
「平城宮大極殿跡これより西へ20丁(2km)
 明治43年3月 棚田嘉十郎」
と刻まれています。

棚田嘉十郎は、明治時代の植木職人であり、その半生を「平城宮跡保存運動」に捧げました。現在、平城宮跡が世界遺産に登録され、整備・保存されているのは、彼の多大な努力の賜物です。
平城宮跡は、都が奈良から京都に移された後、数十年で田んぼに姿を変えました。そのため、長い間、日本人の誰もが「奈良の都」がどこに存在していたのか分からなくなってしまいました。しかし、江戸時代の終わり頃、藤堂藩の藩士が郡山城北の地割を調べていた際、碁盤の目状の区画を発見。「奈良の都はこの辺りにあったらしい」ということが分かりました。
その後、明治中期に、棚田嘉十郎が中心となり、大極殿周辺の田んぼとなっていた土地を支援者たちと共に購入し、平城宮跡保存の必要性を訴えるために何度も東京を訪れました。その運動の中で、明治43年(西暦1910年)に「平城京遷都1200年祭」を開催しました。
また、奈良駅を訪れる人々に「平城宮跡はこちらです」と知らせるため、棚田嘉十郎は石碑を建立しました。その後、政府も保存活動に乗り出し、彼らが取得した土地をすべて国に寄付しました。

三条通りを歩く

三条通風景

三条通り
平城宮の三条大路を受け継ぐ通りです。
江戸時代には、大阪方面から生駒山の暗峠(くらがり峠)を越えて、この三条通を歩き、旅籠のある「なら町」をめざしました。また、春日大社の参道でもあり、まっすぐ春日大社に続いています。
道路の先に見える山は世界遺産の「春日山原始林」です。

開化天皇陵

開化天皇陵
全長100mの宮内庁管轄の前方後円墳です。
街の真ん中に古墳があるのは珍しいです。

浄教寺

浄教寺
浄土真宗のお寺で、開化天皇陵から60mほど先の左手にあります。
入口は、昼間はいつも解放されていますので、気軽に立ち寄れます。
りっぱな蘇鉄の向こうに本堂が見えます。
秋には「菊人形」を毎年、紹介してくれます。

東向商店街南入口

東向商店街の三条通りに面した南側の入口
奈良市で一番の繁華街で、レストランや土産物屋が並んでいます。
この商店街の長さは250m、この向こう側に近鉄奈良駅があります。

東向通りの名前の由来は、
昔から、この通りの東側には興福寺の境内が広がっており、そこですべての建物は興福寺に向かって「東向き」に、背を向けないように建てられていたからだそうです。

東向商店街北入口(近鉄奈良駅)

地下が近鉄奈良駅です。
駅から地上に出ると、大仏さまの建立を成し遂げた「行基菩薩」の像が、東大寺の方角を向いて立っています。

中谷堂(高速餅つき)

東向通り南入口の向かいに「中谷堂」があります。
高速で臼と杵を使って餅つきをする様子が、広く紹介され、外国人観光客で店の前はいつもいっぱいです。
ヨモギ餅のなかに粒あんが入っています。

餅飯殿(もちいどの)商店街

中谷堂の横、東向商店街南入口の少し東よりに、「もちいどの商店街」があります。
商店街の案内板に、名前の由来が書かれています。

今から千年余り前に、東大寺の高僧が吉野・大峰山の行者を困らせる大蛇退治に出かけることになりました。
そのお供に名乗り出たのが、この町の箱屋勘兵衛と若者七人衆。たくさんの餅と干飯(ほしいい:炊いたご飯を乾燥させたもの)をつくり、大峰山に向かい、大蛇の被害を受けた人たちに餅と干飯(ほしいい)を配り、無事に大蛇を退治したそうです。
その後、東大寺の高僧は、この町の若者に「餅飯の殿」の称号を与え、その労をねぎらったそうです。
それ以来、この町を「餅飯殿(もちいどの)」と呼ぶようになったそうです。

この辺りから、南に広がるエリアを「なら町」と呼んでおり、江戸時代には旅館がならび、奈良の中心地でした。

猿沢池

餅飯殿商店街入口から、さらに東に100mほど歩くと、右手に猿沢池が見えてきます。

「澄まず、濁らず、出ず入らず、蛙(かわず)はわかず、藻は生えず、魚が七分に水三分」
猿沢池の「七不思議」です。

興福寺の南にある猿沢池
興福寺の五重塔を眺めるのには最適の場所です。
冬の景色です。

興福寺の五重塔は、2022年6月から2034年3月まで、約12年にわたる大規模な保存修理工事が行われています。

猿沢池の横を歩く親子の鹿

猿沢池の西側にある采女神社(うねめ神社)
9月の中秋の名月の夜に行われる「うねめ祭」は有名です。

謡曲「采女と采女の哀悼歌」
諸国を旅する僧が春日明神を訪れると、一人の里女が現れ、猿沢の池へ僧を案内します。里女は、かつて帝の寵愛を受けた采女が、帝の心変わりを嘆いて池に身を投げたことを語り、自分がその幽霊であることを明かして池に消えます。

僧が池のほとりで読経すると、采女の霊が再び現れ、成仏できたことを喜び、采女にまつわる話を語りながら舞を舞い、再び池の中へ消えていきます。

神社は猿沢池を背にしています。

采女の霊が、自ら命を絶った池を見続けるのは悲しいだろうということで、池を背にして建てられています。

采女祭りの女官たちと船頭と人々の写真Photo of court ladies, boatman, and people at the Uneme Festival

中秋の名月の夜に行われる「采女祭」。猿沢池に身を投げた采女の霊を慰める、奈良の秋を彩る伝統行事です。

興福寺南円堂に通じる階段から猿沢池をのぞむ。

興福寺

興福寺五重塔と工事用の足場の写真

猿沢池の向かいに興福寺の境内が広がっています。
藤原家の氏寺で、都が京都に移って平安時代になっても、大変な力を持っていました。
また、大和の国(奈良県)を長く統治していました。
鎌倉時代にも室町時代にも、大和の国には守護大名が置かれていなかったのは、興福寺の力に寄ります。

写真をクリックすると興福寺のページに跳びます。

菩提院・石子詰め(いしこづめ)

興福寺から、さらに三条通りを進んで行きます(春日大社の方に進みます)
五重塔を左手に見ながら少し進むと、右手に菩提院があります。
入口にロープがかかっていますが、これは鹿よけのためですので、入ることができます。

興福寺五重塔から、三条通りを春日大社方向に100mほど行った南側にあります。
菩提院大御堂(ぼだいいん おおみどう)が正式な名称で、通称十三鐘(じゅうさんがね)と呼ばれています。
興福寺の支院の一つで、三作 石子詰(さんさく いしこづめ)の伝承でよく知られています。

三条通りに面しています。

入口には、
「菩提院大御堂 通称十三鐘」
「伝説 三作 石子詰之旧跡」
の碑が立っています。

入口の柵には、留め金具がありますが、開けて入ることができます。

柵を開けて入ると、正面に鐘楼と釣鐘、左手に本堂が見えます。

十三鐘(じゅうさんがね)という名称で親しまれてきた釣鐘です。

約600年前の、西暦1436年の鋳造で、かつて昼夜を問わず2時間ごとの12回に加えて、午前5時に鐘が打たれたことから「十三鐘」の通称で親しまれています。

鐘の横には「なんじゃもんじゃ」の木が植えられています。
この写真の撮影日の5月5日は満開でした。
とても変わった花びらの形をしています。

大御堂(おおみどう)は鎌倉時代に建てられましたが、現在の建物は1580年の再建です。
堂内には、本尊の阿弥陀如来坐像(重要文化財)、稚児観音菩薩立像などが安置されています。

神さまの使いである鹿を、あやまって殺した少年 三作(さんさく)を石子詰(いしこづめ)の刑に処したと伝承される塚です。
大御堂(おおみどう)の横にあります。

ある日、興福寺の小僧さんたちが大勢、このお堂で習字の練習をしていたところ、一匹の鹿が庭へ入り、小僧さんたちの書いた紙を咥えました。そこで、小僧の一人、三作(さんさく)が、使っていた文鎮を鹿に向かって投げたところ、この文鎮は運悪く、鹿の急所に命中し、鹿はその場で死んでしまいました。
当時、春日大社の鹿は神鹿とされ、「鹿を殺した者は『石詰めの刑に処す』」という掟があったため、三作は子どもと言えども許されることなく、三作の年齢・13歳にちなんだ一丈三尺(約4m)の穴を掘り、三作と死んだ鹿を抱かせて穴の中に入れ、石と瓦で生き埋めになりました。

亀の上に五輪の塔が立っているのは、「三作は、あまりにも短命でかわいそうであったので、『次に生まれてくるときには亀のように長生きできるように』」という願いからだそうです。

お寺の裏からは「奈良ホテル」と、鹿たちの「のどかな食事風景」が広がっていました。

一の鳥居

菩提院から、さらに100mほど行くと、信号のある交差点に出ます。
その交差点の向かいに春日大社の一の鳥居があります。
写真の撮影日は「春日若宮おん祭り」の日で、ここから12月17日の儀式がスタートしました。
春日大社に向かう参道が続きます。

春日若宮おん祭は、毎年12月17日に奈良の春日大社の摂社・若宮神社で行われる伝統ある祭礼です。古式ゆかしい行列や芸能が奉納され、奈良の冬を彩ります。

「魅力いっぱい奈良」の「祭 – お水取り・燈花会・おん祭りなど、イベントの見どころ紹介」

浮見堂

一の鳥居から200mほど進んだ右手150mほどのところに「浮見堂」があります。
休憩にちょうど良く、池にはボートも浮かんでいます。
春は、桜の名所の一つになります。

浮見堂は、春日大社の参道の、一の鳥居を過ぎて少し行った、南の方(春日大社に向かう方向の右手)にあります。
池にはボートが浮かび、美しい景色を池の中からも見ることができます。

桜の季節も見事です。
奈良公園全体が桜の名所ですが、さらに浮見堂周辺は見事です。

秋の浮見堂

晩秋です。
もみじ以外は、紅葉が終わりました。

堂内で、座って休めます。

国立博物館

浮見堂から東を見ると、広い芝生が見えます。「飛火野」といい、春日大社の境内になります。
三条通り(春日大社参道)に戻り、そのまま東(山側)に進むと春日大社に到着します。
ここでは先に東大寺を見学するために、三条通り(春日大社参道)を左に曲がり、大仏殿前の交差点をめざします。

東大寺参道入口のそばにあります。
毎年、秋に正倉院展が開催され、長蛇の列になります。
国立博物館は、「東京」「京都」「奈良」「九州」の四か所にあります。

金剛力士立像(こんごうりきし りゅうぞう)
吉野山の金峯山寺(きんぷせんじ)の仁王門に安置される金剛力士像です。
南北朝時代の1338年から、翌年にかけて造られました。

東大寺参道(東大寺大仏殿前交差点)

東大寺参道です。
南大門は、このすぐ先にあり、さらに進むと大仏殿です。

奈良春日野国際フォーラム 甍(いらか)ー 東大寺参道の東

東大寺参道の東にあります。
庭園は見学自由です。

早春の梅の季節です。

晩秋の紅葉です。

紅葉の季節です。

2月上旬に行われる「なら瑠璃絵」のメイン会場です。
梅の花が咲きだす頃に行われます。

写真をクリックすると「祭」のページに跳びます。

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