【2025年版】東大寺見どころ13選|大仏・南大門・二月堂・鹿と回る絶景ガイド

大仏様のお顔と花と松の写真

奈良を代表する世界遺産・東大寺。大仏殿を中心に、南大門や二月堂、正倉院など歴史と自然が調和する見どころを13スポットに絞って、写真つきで読みやすくまとめました。初めての方もリピーターも、回り方と見逃しポイントを短く押さえておけば効率よく楽しめます。詳しい歩くコースは記事内の「東大寺や大仏殿の歩き方」をご覧ください。

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大仏殿|世界最大級の木造建築

東大寺の大仏さま

奈良観光といえば、やはり外せないのが東大寺の大仏さま。正式には「毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)」と呼ばれ、仏教において宇宙全体を照らす存在とされる尊い仏さまです。

大仏の造立は奈良時代の743年、聖武天皇の強い願いによって始まりました。当時の日本は疫病や飢饉、戦乱が続き、人々の暮らしは不安に満ちていました。聖武天皇は「仏の力で国を安らかにし、人々の心を救いたい」と願ったのです。

「ひと枝の草、ひと握りの土をもって像を助けつくらん」

この言葉には、身分や財産に関係なく誰もが大仏づくりに参加できる、という思いが込められています。実際に建立には全国から木材や金・銅などの資源が寄せられ、数えきれないほど多くの人々が力を尽くしました。まさに国民一人ひとりの心が結集した壮大な事業だったのです。

そして752年、すべての願いが実を結び、盛大な「開眼供養」が行われました。この儀式によって、大仏さまに“命”が吹き込まれたと伝えられています。

現在の大仏は高さ約15メートル。その穏やかな表情と堂々とした姿は、1300年近い時を超えて今もなお訪れる人々を迎え、心を静かに照らし続けています。

奈良に訪れたなら、ぜひ大仏さまの前に立ち、その圧倒的な存在感とやさしいまなざしを、じかに感じてみてください。

 

(大仏様を横から拝する)

像高14.98m(約15m)
目長1.02m
耳長2.54m
顔長5.33m
鼻高0.50m
重量は約250t


ライトアップされた東大寺大仏殿

令和7年8月に行われた「東大寺夜間参拝」では、大仏殿や大仏さまがライトアップされました。
(写真をクリックすると「祭り」のページに跳びます。)

大仏殿の「穴くぐり」

大仏さまの背後の柱には、大きな穴が開いています。この穴の大きさは、大仏さまの鼻の穴と同じと伝えられています。
ここをくぐり抜けると「病気にならない」「願いがかなう」といったご利益があるとされ、多くの参拝者が挑戦しています。
子どもだけでなく大人の方も挑戦している姿が見られ、東大寺ならではの体験スポットになっています。

創建当時の東大寺は東西に「七重塔」があったそうです。

大仏殿と鏡池

東大寺の大仏殿は、世界最大級の木造建築。これまでに二度の兵火に遭い、現在の建物は江戸時代に再建されたものです。

創建当初の大仏殿は、奥行きや高さは現在とほぼ同じですが、横幅はなんと1.5倍もあったといわれています。1200年以上も前に、クレーンもない時代に木材だけでこれほどの巨大建築を造り上げた先人の技術には驚かされます。

大仏殿の前に広がる「鏡池」は、四季折々の景色を映し出し、特に紅葉や桜の季節には美しい風景が楽しめます。

東大寺中門と幡(ばん)
5月2日の天平祭翌日に撮影しました。

大仏殿の正面に建つのが「中門」です。通常、多くの寺院では中門が最も大きな門ですが、東大寺では200m南にある南大門の方が大きく造られています。

門の前に立っている2本の旗は、「幡(ばん)」と言います。
重要な法要などがある時に使われます。

中門から大仏殿を見ています。

大仏殿前の鏡池の紅葉

聖武天皇祭と雅楽の奉納
5月2日の「聖武天皇祭」

5月2日は、聖武天皇がお亡くなりになった日です。
(令和5年の)この日、大仏殿前の鏡池では、雅楽が奉納されました。
(写真をクリックすると「祭り」のページに跳び、この日の様子をもっと見ていただけます。)

南大門から大仏殿へと向かう参道の右手(東側)には「東大寺本坊」があります。
桜の季節には、美しい花々に彩られた本坊の姿を見ることができます。


東大寺本坊前の鹿たち

東大寺本坊の前の桜と鹿たち

南大門から本殿に向かった左手にある「東大寺ミュージアム」の前

大仏さまの手と同じ大きさのモニュメントが展示されています。訪れた人々が思わず写真を撮りたくなる人気のスポットです。

大仏殿の西側

大仏殿の西側に回ると、きれいに食べ揃えられ芝生が広がっています。
東大寺の厳かな雰囲気の中で、自然と調和した美しい景観を楽しめます。

秋の東大寺参道横の景色

若草山ドライブウェイの中腹から撮った大仏殿

大仏殿の北側(後ろ)と東側が見えます。
大仏殿の右側奥には、興福寺の五重塔が小さく写っています。

南大門とその周辺

東大寺南大門
東大寺は「華厳宗」の大本山です。
「大華厳寺」の額が掲げられています。

南大門でたたずむ鹿

若い雄鹿
角が柔らかそうです。

東大寺南大門前の鹿の写真

南大門の前で、どうどうとたたずむ鹿。

南大門前の3匹の鹿の写真

南大門の金剛力士像前で、一列に並んで休憩する鹿たち

東大寺南大門金剛力士像
阿形像(あぎょうぞう)
1203年(鎌倉時代)に、運慶や快慶らの仏師によってわずか69日間でつくられたという巨大像です。
阿形像は口を開けています。
「あ」と言っている口の形です。

東大寺南大門金剛力士像
吽形像(うんぎょうぞう)
口を閉じて、「うん」と言っている口の形です。

「あ」と「うん」は、万物の初めと終わりを表しています。

東大寺境内図(上が北) この掲示板は、南大門の南側にありました。現在地と表示されている所です。
 中央に大仏殿
 中央下に南大門
 中央左に戒壇院
 中央上に正倉院
 中央右に二月堂・三月堂など
 その下に手向山八幡宮

東大寺参道入口の手前にある奥村記念館からの春の景色

東大寺南大門の屋根が中央左に見えます。
中央右の薄茶色の山は若草山です。まもなく、きれいな緑に変わります。
中央の建物群は夢風広場のレストランや土産物店です。

東大寺は、「古都奈良の文化財」として1998年にユネスコの世界遺産に登録されました。
登録された八つの文化財は、
 東大寺
 興福寺
 春日大社
 春日山原始林
 元興寺
 平城宮跡
 薬師寺
 唐招提寺 です。

大仏殿前の参道です。
春から秋にかけて、多くの修学旅行生でにぎわいます。
最近は、外国からの観光客も、とても多いです。

この奥に、東大寺南大門、さらに奥に大仏殿があります。
奈良公園のどこにでも鹿はいますが、特にこの辺りには、たくさんの鹿が「鹿せんべい」をもらおうと集まっています。

東大寺参道横の「浮雲園地」

遠くに見える薄茶色の山は若草山です。
山焼きが1月に行われ、春になるときれいな緑になります。
その右側の、少し見えている緑の山が「春日山原始林」です。春日大社の神域です。

東大寺南大門の東側の「春日野園地」の巨樹の下で休憩する鹿たちです。

南大門の東の池です

春日山原始林から流れてくる吉城川(よしき川)の川岸のもみじ

もみじの種です。(5月中旬に撮影)

秋の東大寺参道横です。

イチョウの紅葉です。

鐘楼と梵鐘

東大寺鐘楼(国宝) 
1180年の兵火で、東大寺の大部分の伽藍が焼かれました。
しかし、翌年から復興が着手され、この鐘楼は、1207年から1210年(鎌倉時代)に再建されました。

梵鐘(国宝)
重さ26.3トンもあるこの梵鐘(ぼんしょう)は、東大寺創建当初のものです。
日本三名鐘のひとつに数えられています。

大湯屋(おおゆや)

大湯屋(重要文化財)
鐘楼の北側にあります。
奈良時代から、東大寺の風呂場として使われていた建物です。
その後、被災し、現在の建物は室町時代に再建されました。
建物内には、大きな鉄湯船が備えられています。

大湯屋の屋根と二月堂供田(くでん)


供田では、「二月堂の仏様にお供えするお餅」のもち米を栽培しています。

大湯屋前の小川


6月初旬~中旬に、この辺りで天然のゲンジボタルを見ることができます。
大仏ボタルと呼ばれています。


二月堂

二月堂は、3月上旬に行われる伝統行事「お水取り」で広く知られています。
もともとこの行事は旧暦2月上旬に行われていたことから、「二月堂」という名がつけられました。

建物の建築美もさることながら、回廊から望む奈良の景色は格別です。 東大寺と春日大社の間を歩く際には、ぜひ足を運んでみてください。
なお、二月堂は24時間、参拝できます。

お水取りの観客のために、竹の柵が作られています。
3月上旬の撮影です。

毎年、3月に行われる二月堂のお水取り
正式な名称は「修二会(しゅにえ)」です。
西暦752年に始まって以来、一度も途切れることなく、現在まで続いています。
令和7年は1274回目でした。
東大寺は創建以来2度、兵火に遭って、伽藍の大部分を失いましたが、修二会は一度も途絶えることなく、現在まで続いています。(写真をクリックすると「祭り」のページに跳びます。この祭りの様子をもっと見ていただけます。)

二月堂に登る階段の一つです。

西に向いた二月堂の正面

この前の舞台から夕陽を眺めようとする外国人観光客で、日没時は混雑します。

南側の階段を登ったところにある手水舎

左の建物が二月堂です。

二月堂から眺める奈良の景色
東大寺大仏殿に向かって撮影したもので、大仏殿の屋根の一部が木々の上に見えます。
その向こうの一番高い山は、生駒山で、その向こうは大阪です。
中世には多くの人が、大阪を早朝に出発し、生駒山山頂の南側(写真では左側)の暗峠(くらがりとうげ)を越えて、奈良町(猿沢池周辺)で宿泊しました。そして、翌日は南に位置する長谷寺(桜井市)に、またその先に続く伊勢街道を歩いて「伊勢神宮」までお参りに行きました。

閼伽井屋(あかいや)
修二会(お水取り)の3月12日深夜(13日の午前1時半ごろ)に、この中にある井戸から本尊十一面観世音菩薩にお供える御香水(おこうずい)を汲む儀式を行うところです。
若狭井とも呼ばれています。

「若狭井」には、次のような昔話があります。
その昔、修二会の行の間に、ある高僧が全国一万七千余りの神様の名前を読み上げ、「ぜひ二月堂に集まっていただきたい」とお願いをしました。神々はすぐに集まって来られましたが、若狭の神だけが魚釣りをしていて遅刻をしてしまい、それを他の神々から責められました。そこで、若狭の神は「お詫びに、ご本殿にお供えする霊水を若狭からお送りします」と言って、二月堂下で祈ったところ、霊水が湧き出ました。これが若狭井です。
なお、若狭では毎年3月2日に「お水送り」という神事が行わています。
ただし、実際に若狭から「霊水」が人々の手で運ばれてくるのではなく、神事を行うことによって、若狭の「霊水」が、神の力によって、この「若狭井」から湧き出すそうです。
夢のある、楽しいお話です。


良弁杉(ろうべん杉)
良弁(ろうべん)は奈良時代の高僧で、東大寺の創建に力を尽くしました。
良弁杉にまつわる話を紹介します。

昔、近江の国(今の滋賀県)でひとりの赤ちゃんが生まれました。ところが、2歳のある日、大変な出来事が起こります。お母さんが畑で仕事をしている間、赤ちゃんはそばで静かに寝ていました。すると突然、大きなワシが空から舞い降り、赤ちゃんを鋭い爪でつかんで空へ飛び去ってしまったのです。
しばらくして、奈良県南部・飛鳥のあるお寺の高僧が春日大社に参拝したときに二月堂に立ち寄ると、杉の木の上から赤ちゃんの泣き声が聞こえてきました。高僧があわてて木に登って赤ちゃんを救いました。その子は、首から木彫りの小さな仏像をさげていたそうです。赤ちゃんは「良弁(ろうべん)」と名付けられ、すくすくと育ちました。聡明で徳のある少年となり、やがて東大寺の高僧となって、多くの人に知られる存在になりました。
一方、お母さんは赤ちゃんを必死に探しましたが行方はわからず、月日だけが過ぎていきました。それでもお母さんはあきらめず、ずっとわが子を探し続けました。
そして約50年後のこと。ある日、「昔、大きなワシにさらわれた赤ん坊が、東大寺の高僧になったらしい」という話を耳にします。まさかと思いながらも東大寺を訪ねてみると、良弁が身に着けていた木彫りの仏像が、かつて自分が赤ちゃんに持たせたものと同じであるとわかりました。
こうして、母と子はついに再会を果たします。良弁は母に心から感謝し、孝行を尽くしました。母親は幸せに長寿をまっとうしたとのことです。

東大寺の裏から、二月堂に向かう道です。
中央の建物は二月堂です。
右側には土塀が続き、とても趣のある道です。

法華堂(三月堂)

法華堂(三月堂)
東大寺最古の建物で733年創建とされます。
旧暦三月に「法華会(ほっけえ)」という法会が行われたことから「三月堂(法華堂)」と呼ばれるようになりました。

奈良時代の建築様式が見事に残っています。

戒壇堂(かいだんどう)

戒壇堂
戒壇とは、正式な僧侶になるために「戒(かい)」を授けられる儀式である「受戒」を行う壇のことです。
西暦754年、唐から招いた高僧「鑑真(がんじん)」から、聖武天皇や光明皇后が、臨時に作られた戒壇で受戒し、翌年、日本で初めての正式な受戒の場として、この「戒壇堂」が建てられました。
その後、筑紫観世音寺と下野薬師寺にも戒壇が作られ、それ以降、これら3か所の戒壇で受戒を受けないと正規の僧と認められないことになりました。
この東大寺の戒壇からは、多くの僧が巣立っていきました。

5月中旬の景色です。

指図堂(さしずどう)

大仏殿の西にある指図堂(さしずどう)
東大寺の設計図や修復計画がここで作成され、保存されました。
現在、写経道場が隣に増設され、般若心経又は東大寺のお経の写経ができます。

転害門(てがいもん)

国宝の転害門です。
平城京の大極殿から、東西に延びる一条通り。その一条通りを東に向かうと、この門にたどり着きます。
南北15m、東西7.73m、高さ11mという大きさです。
東大寺の多くの伽藍は、兵火で焼かれてしまいましたが、この門は、東大寺本堂から少し離れており、災難を免れました。
そのおかげで、貴重な天平の建物を見ることができます。

門の内側から、平城京の方(西の方向)を向いて撮影しました。
門の向こうに見える道路が一条通りです。

南都焼き討ちで東大寺の伽藍の多くが焼け落ちましたが、鎌倉時代前半に多くが再建されました。
その際に、この転害門も改修がされたようですが、主に表側で、この写真にある裏側は、奈良時代の様式が多く残されているそうです。

正倉院

正倉院
東大寺大仏殿の裏手(北側)にあります。正倉は、ヒノキ造りの高床式の倉庫です。内部は「北倉」「中倉」「南倉」の三室からなり、北倉と南倉は「校倉造(あぜくらづくり)」です。
大仏建立の発願をされた聖武天皇のご遺愛の品などが納められています。
平日の10時から15時まで、外構を、この写真を撮った場所から見ることができます。

大仏池とおかっぱ桜

大仏池
東大寺の北側、正倉院との間にある大仏池

おかっぱ桜の満開の写真

大仏殿裏の「おかっぱ桜」です。
鹿が後ろ足で伸びをして届く、地上から2mまでの桜の葉は、きれいに食べられています。

手向山八幡宮

奈良時代に聖武天皇が、東大寺を建立するにあたり、「無事に東大寺を造営できますように」という願いのもと、宇佐(大分県)から八幡宮を迎えたことに始まります。
当初は東大寺本殿前の鏡池の東側にありましたが、鎌倉時代に現在の地(大仏殿から東に400mほどの所)に移りました。
古来より、もみじの名所として有名です。

菅公腰掛石
菅原道真公は、898年の秋に、宇多上皇のお供で、手向山八幡宮に参拝しています。その際に、この石に腰をかけて、もみじの紅葉をながめたと言われています。

このたびは ぬさもとりあえず 手向山
  もみじのにしき 神のまにまに
              菅原道真

今回の旅は急な旅で、神様に捧げる幣(ぬさ)を用意する間もありませんでした。手向山のもみじを捧げますので、神様の御心(みこころ)のままにお受け取り下さい。

神社の若草山側の入口

東大寺大仏殿前の鏡池から手向山八幡宮に向かう参道。

行基菩薩像(近鉄奈良駅前)

近鉄奈良駅前の行基菩薩像

行基菩薩は668年に、大阪府堺市に生まれました。
全国を巡って、橋やため池の建設、医療施設の設置など、多くの貢献をし、行基菩薩とよばれました。
聖武天皇は「仏教の力によって、国の平安と繁栄を図ろう」と考え、大仏さまの建立の詔を発しましたが、資金や労働力の確保が課題でした。行基は、その求心力と人望を活かし、全国から資金と人々を集めることに成功し、752年に、見事に開眼供養が行われました。
行基菩薩像は、近鉄奈良駅前から東大寺の大仏殿に向かって立っています。