春日大社|鹿と灯籠が彩る世界遺産の神社【観光ガイド】

春日大社の灯籠と鹿たちの写真 神社
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春日大社の見どころを、石灯篭や鹿たちの写真をまじえて紹介します。
奈良時代に、日本の繁栄と国民の幸せを願って、茨城県の鹿島神宮から武甕槌命(たけみかづちのみこと)をお迎えし、春日大社が創建されました。その際、武甕槌命が白い鹿の背に乗って、背後の御蓋山(みかさやま)に降りたたれたことから、鹿は神さまの使いとして大切に保護されてきました。
1300年もの間、人と鹿がともに暮らしている町が奈良です。
社殿は西暦768年の造営です。

この地図は、上が南です。(北は下です)

拝殿・本殿

桜の季節の春日大社

春日大社拝殿

春日大社の灯籠と鹿たちの写真

春日大社境内のご神木
周囲8.7m
高さ25m
樹齢約800年~1000年
とのことです。

釣灯籠は約1000基あります。

砂ずりの藤

砂ずりの藤
拝殿の左にあります。
花の穂が地面の砂にすれるほど長いところから、この名が付きました。
樹齢800年とも言われている古木です。

武甕槌命(たけみかづちのみこと)

武甕槌命(たけみかづちのみこと)は、最強の武人の神さまです。

武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、その昔、白い鹿に乗って、奈良にお越しになったことから、奈良の鹿は神様のお使いとして大切に護られてきました。

武甕槌命(たけみかづちのみこと)は「国譲り神話」で有名です。
高天原(たかまがはら)の天照大神(あまてらすおおみかみ)は、「大国主命(おおくにぬしのみこと)が統治しているこの日本は、わが子が治めるべき国である」と言われて、使者として武甕槌命(たけみかづちのみこと)を遣わされました。
武甕槌命(たけみかづちのみこと)は出雲の稲佐の浜に降り、剣を逆さまに立てて、その剣先にどっしりとあぐらをかいて座り、国を神々に譲るよう、大国主命(おおくにぬしのみこと)と談判しました。
大国主命は、「息子たちに尋ねてほしい」と答えたために、まず長男に問うたところ、「天照大神の子どもに譲った方がよいでしょう」と答えました。続いて、弟に問うたところ、弟は「力比べをして決めよう」と申し出たために力比べをしたが、弟は敗れて諏訪湖(長野県)まで逃げ、「この先、諏訪から一歩も出ない」という約束で許されて、諏訪大社の神となりました。
大国主命(おおくにぬしのみこと)は「子どもたちが了承するなら国を譲るが、その代わりに、自分の住みかとして、天上(てんじょう)の天照大神と同じような立派なご殿を建ててほしい」と願ったので、出雲大社が造られ、そこに祀られました。
武甕槌命は、この後、茨城県の鹿島大社に祀られました。
この武甕槌命が、奈良時代に白い鹿の背に乗って、春日大社に来られたということです。

阿倍仲麻呂

天の原 ふりさけ見れば 春日なる
(みかさ)の山に いでし月かも
      阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)

阿倍仲麻呂は、698年に桜井市の阿部山で生まれ、19歳の時に遣唐留学生として唐に渡りました。その出発前には、春日大社で壮行神事を受けています。
日本人でありながら、中国の超難関の科挙(かきょ)の試験に受かり、その後、中国で高官となって昇進していきました。
33歳の時の帰国願いは皇帝から許しが出ず、53歳の時にようやく一時帰国が認められました。その際に、故郷の奈良を偲んで詠んだ歌がこの歌です。
ところが、船は難破して現在のベトナムに漂着し、やっとの思いで唐の都・長安に戻ったものの、その後、帰国はかなわず、70歳で亡くなりました。

春日大社若宮神社

若宮神社は天押雲根命(アメノオシクモネノミコト)をお祀りしています。


春日大社には四柱の主祭神をお祀りしています。
その中の第三殿の天児屋根命(アメノコヤネノミコト)様と第四殿の比売神(ヒメガミ)様のご夫妻の間に、平安時代中期に生まれた幼い神さまが天押雲根命(アメノオシクモネノミコト)様です。
最初は、四柱の主祭神と一緒にお祀りしていましたが、若宮様の若々しい優れた霊験で、より人々を救っていただく御力を発揮していただくために、多くの人々の尽力で若宮社が創建されました。
春日大社の南方100mの地に、春日大社の御本社とほぼ同じ造りの社が1135年に建てられました。
当時、天候不順による凶作や疫病の蔓延の為に苦しんでいる人々を救うため、若宮様は絶大なご霊験を発揮されたと伝わっています。

若宮神楽殿(わかみや かぐらでん)



本来、神宮や神社は「国家の平和や繁栄」を願い創建されました。
伊勢神宮、出雲大社、大神神社(おおみわ神社)、そしてこの春日大社も同様です。

ところが、この若宮創建と同じころに(平安時代後期に)、若宮の社の前のこの神楽殿(かぐらでん)で、人々の個人的な願いを受けて、神さまに神楽(かぐら)を奉納する巫女(みこ)組織が作られました。中世には、40人以上が巫女として、神の前で神楽を奉納しました。
参拝者たちは若宮へのお参りの後に、巫女に願い出て「神楽」を奉納し、その中で「申し上げ」が奏上され、巫女が参拝者の願いを神さまに伝えました。

現在、「お宮参り」「七五三」「お正月」などに、神様の前で「祝詞(のりと)」をあげていただき、神様に個人の願いを取りついていただいています。このような「個人的な願いを神さまに取り次ぐ」というのが初めて行われたのが、この若宮の神楽殿です。

なお、願いを聞いていただき、成就できた人たちは、「お礼をしたい」と考え、この若宮から、春日大社本殿までの参道に石灯篭を寄進しました。その数が次第に増え、本殿までの参道では並び切れなくなり、春日大社の境内全体に石灯篭が立つようになりました。
春日大社若宮が、これほど人気があったため、1136年に始まった「若宮おん祭り」が、900年もの間、途絶えることなく現在まで続いているのもうなずけます。 クリックすると、祭りのページに跳びます。

若宮の大楠(おおくす)
春日若宮から春日大社への参道にあります。
県内で1・2位を争う巨樹であるこのクスノキは、元は三本の苗木が成長に伴って、合わさってくっついたと言われています。
石灯篭は、最初、ここから並び始めました。

春日大社参道には多くの石灯篭が並んでいます。
その数、2000基です。(釣灯籠は1000基)
春日大社でもっとも古い石灯篭は、1136年に関白・藤原忠通(ただみち)が奉納したと言われる燈籠です。
900年ほど前から、現在に至るまで、家内安全や武運長久などの願いを込めて、寄進されてきたものです。



御間型燈籠(おあいがたとうろう)
木製の火袋は、漆で黒く塗られ、鍍金した真鍮の枠がはめられています。
木製のため十年に一度の交換が必要であり、徳川頼宣による一基を除き、すべて白木になりました。
この燈籠の火袋は、復元されたもので、1549年の灯籠へ奉納されました。

石灯篭のある境内の風景

水谷茶屋(みずや茶屋)
若草山の山麓道から春日大社に向かって歩いていくと階段があり、その階段を下りたすぐ向かいにある茶屋です。
わらぶき屋根の趣のある建物で、観光客に人気です。
この建物の裏を流れる川が水谷川(みずや川)で、春日山原始林から流れてきます。
この茶屋を越えると、春日大社の境内になります。

春日大社の東の御蓋山(みかさやま)は、太古のむかしから、神様が御鎮まりになる所(神奈備:かむなび)です。
768年に、春日大社の御祭神の武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、白鹿の背中に乗り、頂上に天降られた神蹟です。

万葉植物園

万葉植物園

昭和7年(1932年)、万葉集にゆかりの深い植物をテーマに開園しました。
萬葉集には約180種類の植物が詠まれており、観賞用の物ありますが、多くは目立たず、そっと生きてい植物です。また、食用や薬用、染料など、生活に密接に関わってきたものが含まれます。
園内は約3ヘクタール(9,000坪)の広さがあり、「萬葉園」「五穀の里」「椿園」「藤の園」の4エリアで構成されています。

藤の花の写真をクリックすると、「花」のページに跳びます。

飛火野

大木も何本かあります。
飛火野は、春日大社の参道の南側、浮御堂の東側の美しい園地です。
鹿がきれいに芝を食べてくれています。
芝だけではなく、高さ2mまでの木の葉も食べてくれますので、「奈良公園は見通しがよいなあー」と感じるようなら、それは鹿たちのおかげです。

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