飛鳥(明日香村)観光|世界遺産・日本の始まりの地の見どころとアクセス

文化や歴史

明日香村(あすかむら)は、6世紀末から7世紀にかけて、天皇の宮が次々と置かれ、古代日本の政治の中心となった場所です。
聖徳太子が生まれた場所と伝えられる「橘寺」、日本最初の本格的な仏教寺院とされる「飛鳥寺」、大化の改新のきっかけとなった乙巳の変(いっしのへん)の舞台「飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)」、日本で初めて時刻を知らせる水時計が置かれたとされる「水落遺跡」など、飛鳥には日本の歴史を動かした場所が数多く残されています。
仏教の広がりや政治改革、新しい文化や技術の受け入れなど、飛鳥では日本という国のかたちが少しずつつくられていきました。

2026年7月26日、「飛鳥・藤原の宮都」は世界遺産登録が決定しました。飛鳥は、古代日本の歴史が大きく動き始めた「日本の始まりの地」として、世界からもその歴史的価値が認められています。

スポンサーリンク

明日香(飛鳥)への行き方やまわり方

明日香を観光するなら、レンタサイクルがおすすめ

明日香観光の玄関口は「飛鳥駅」です。
ただし、バスで明日香の中心部へ向かう場合は、橿原神宮前駅東口から「かめバス」に乗るのが便利です。

① 一番のおすすめは「レンタサイクル」

明日香村は坂道が多いため、電動アシスト付き自転車がおすすめです。
普通の自転車では上り坂が多く、かなり体力を使います。
かめバスや徒歩を組み合わせて、高松塚古墳、橘寺、石舞台、飛鳥宮跡、飛鳥寺などを巡ると効率よく観光できます。

② かめバスと徒歩で巡る

かめバスを利用する場合は、バスと徒歩を組み合わせて観光するとよいでしょう。
比較的高い場所にある石舞台を最初に訪れ、その後、徒歩とバスを組み合わせて各地を巡る方法がおすすめです。
また、かめバスで水落遺跡まで行き、そこから徒歩で飛鳥寺、飛鳥宮跡、石舞台、橘寺、高松塚古墳を巡り、飛鳥駅へ向かうルートもおすすめです。
飛鳥駅から徒歩で高松塚古墳へ向かい、天武・持統天皇陵、橘寺、石舞台へと歩くハイキングコースも楽しめます。途中で疲れたら、無理をせずバスを利用しましょう。

明日香は、徒歩・自転車・バスを上手に組み合わせることで、古代の歴史を感じながら効率よく観光できます。

③車で訪れる場合は

明日香村には、国営飛鳥歴史公園内をはじめ、村内各所に駐車場が整備されています。
駐車場は、管理者によって無料・有料のものがあります。
国営飛鳥歴史公園の駐車場の案内ページへリンク
車で観光する場合は、目的地に近い駐車場を利用すると便利です。ただし、春や秋の行楽シーズン、イベント開催時などは、駐車場が大変混み合うことがあります。
特に混雑する時期は、できるだけ電車やバスなどの公共交通機関を利用することをおすすめします。
また、明日香村の観光は、車を駐車してから徒歩やレンタサイクル、かめバスを組み合わせて巡るのもおすすめです。古代の風景が残る明日香を、ゆっくり楽しむことができます。


石舞台(世界遺産)

石舞台古墳は、蘇我馬子の墓ではないかと考えられている、日本最大級の方墳です。
墳丘の一辺が約50mの国内最大級の方墳とされ、現在は墳丘の盛土が失われ、巨大な石を使った横穴式石室が露出しています。
キツネが女性に化けて石の上で踊ったという伝説があり、それが「石舞台」という名前の由来になったともいわれています。

飛鳥寺(飛鳥寺跡は世界遺産)

飛鳥寺
飛鳥寺は、588年に蘇我馬子によって造営が始まり、596年に完成した、日本最初の本格的な仏教寺院です。
本尊の「飛鳥大仏(釈迦如来坐像)」は、609年に完成したとされる現存する日本最古の大仏です。鞍作止利(くらつくりのとり)が制作に関わったと考えられています。
飛鳥大仏は、面長で少しエキゾチックな表情が特徴です。奈良の大仏とは、お顔の印象が大きく異なります。造られた時代による仏像の表情の違いを、ぜひ実際に訪れて確かめてみてください。

酒船石(酒船石遺跡は世界遺産)

酒船石(さかふねいし)は、長さ約5.5m、幅約2.3m、厚さ約1mの大きな花崗岩です。
石の上には、いくつもの溝やくぼみが刻まれていますが、何のためにつくられたものなのかは、今もはっきり分かっていません。
酒や油をつくるための道具だったという説や、薬を調合するために使われたという説があります。また、近くから水を引くための施設が見つかっていることから、古代の庭園に関係する施設だったのではないかという説もあります。
飛鳥には、この酒船石のように、今も用途が分からない不思議な石が数多く残されています。いったい何に使われたのでしょうか。そんな謎を想像しながら見学するのも、飛鳥観光の楽しみの一つです。

酒船石遺跡
酒船石の近く、少し低い場所には「酒船石遺跡」と呼ばれる石垣の遺構があります。平成4年(1992年)に発見されました。
調査の結果、ここには約3mの盛り土をした人工の丘陵が築かれ、その上に石垣が造られていたことが分かりました。石垣には、明日香村周辺で産出する花崗岩や、天理市から奈良市にかけて分布する凝灰岩質砂岩の切り石が使われています。
『日本書紀』には、斉明天皇の時代に「宮の東の山に石を累ねて垣とす」「石の山丘をつくる」と記されています。酒船石遺跡は、こうした記述に関連する遺構の一つではないかと考えられています。
斉明天皇の時代に造られた、壮大な石造りの施設。その姿を想像しながら見学すると、飛鳥の歴史をより身近に感じることができます。


飛鳥坐神社(あすかにいます神社)

飛鳥坐神社は、飛鳥の地に古くから鎮座する歴史ある神社です。飛鳥の守護神として信仰され、境内には4つの本殿が並んでいます。

毎年2月の第1日曜日には、「おんだ祭り」が行われます。五穀豊穣や子孫繁栄、縁結びを願う伝統的な祭りで、西日本三大奇祭の一つともいわれています。ユニークな神事で知られ、毎年多くの参拝客や観光客でにぎわいます。

水落遺跡(飛鳥水落遺跡は世界遺産)

水落遺跡
『日本書紀』には、斉明天皇6年(660年)、中大兄皇子が水時計を造り、人々に時刻を知らせたと記されています。
水落遺跡からは、水時計を備えたと考えられる建物跡や水時計の装置が発見されました。日本で初めて時刻を知らせる仕組みが整えられた場所として、飛鳥の歴史を知るうえで重要な遺跡です。


飛鳥資料館

亀石など、明日香にはなぞの石像物がたくさんあります。
そのすべてを見て回るのは大変ですが、この飛鳥資料館の前庭には、多くの石像のレプリカが配置されています。
ぜひ、石像のなぞ解きをしてください。 (下の写真はレプリカです)

橘寺(橘寺跡は世界遺産)

橘寺は、聖徳太子が生まれた場所と伝えられる古刹です。太子が父・用明天皇の命を受けて建立したとされ、飛鳥時代の仏教文化を今に伝えています。
境内には、善と悪、表と裏を一つの石に表したとされる**「二面石」**や、聖徳太子の愛馬「黒駒」の像などがあります。
「日本の始まりの地」と呼ばれる飛鳥を訪れたら、ぜひ立ち寄りたい歴史ある寺院です。

鬼の雪隠・鬼のまな板

「鬼の雪隠(せっちん)」と「鬼のまな板」は、もとは一つの古墳の石室を構成していた石と考えられており、現在は道路を挟んで離れた場所にあります。
「鬼の雪隠」は、昔の便所を意味する「雪隠」に似ていることから、この名で呼ばれています。「鬼のまな板」は、鬼が人を料理するために使ったという伝説から、この名で呼ばれています。
古代の古墳の石室が、長い年月を経て現在の姿になったと考えられています。

天武・持統天皇陵古墳(世界遺産)

天武・持統天皇陵古墳は、天武天皇と、その皇后である持統天皇が合葬された陵墓です。
天武天皇は壬申の乱に勝利して即位し、天皇を中心とする国づくりを進めました。その後、持統天皇が政策を受け継ぎ、694年に都を藤原京へ移しました。
陵墓は八角形の八角墳と考えられており、飛鳥から藤原京へと時代が移り、日本の国の仕組みが整えられていった歴史を伝える重要な陵墓です。

亀石

亀石は、明日香村にある巨大な石造物で、亀のような姿をしていることからこの名前で呼ばれています。誰が、いつ、何のために造ったのかは、今もはっきり分かっていません。
「亀石が西を向いたとき、大和国一帯が泥の海になる」という伝説も残されています。謎に包まれた不思議な石造物の一つで、明日香観光の人気スポットです。

高松塚古墳(世界遺産)

高松塚古墳は、7世紀末から8世紀初めごろに造られた直径約23mの円墳です。1972年に発見された石室の壁から、「飛鳥美人」として知られる色鮮やかな女子群像をはじめ、男子群像、四神、星宿などが描かれています。
古代の人々の服装や文化を知ることができる貴重な壁画として、現在も大切に保存されています。

キトラ古墳(世界遺産)

キトラ古墳は、7世紀末から8世紀初頭ごろに造られたと考えられる円墳です。下段の直径は約13.8m、上段は約9.4mと小さな古墳ですが、石室の壁には青龍・白虎・朱雀・玄武の四神、十二支、天文図などの極彩色の壁画が描かれていました。
壁画は保存のため石室からすべて取り外され、現在は修理・保存されています。キトラ古墳壁画は、古代東アジアとの文化交流を知るうえでも貴重な文化財です。

写真は、キトラ古墳 四神の館 内部の復元石室
四神(しじん)とは、東南西北の四つの方角を守る神のことです。
 東…青龍(せいりゅう)
 南…朱雀(すざく)
 西…白虎(びゃっこ)
 北…玄武(げんぶ)



牽牛子塚古墳(世界遺産)

牽牛子塚(けんごしづか)古墳は、7世紀後半につくられた古墳で、八角形の形をしています。
日本でもっとも大きい古墳は、堺市の大仙古墳(仁徳天皇陵)で、5世紀中期につくられました。奈良時代直前の7世紀後半になると、大規模な古墳はなくなり、この古墳の幅は22mです。
古墳文化は約500年続きましたが、この古墳はその最終段階に造営されたものです。
牽牛子塚古墳は、斉明天皇とその娘・間人皇女が葬られた墓と考えられています。
内部の石室には、二上山の凝灰岩が使われています。


稲渕(いなぶち)

稲渕は石舞台から奥(南の方)に入った地区です。
「日本棚田百選」にも選ばれている棚田で有名で、秋には「かかしコンテスト」が行われます。 

明日香の風景

明日香の街並みです。

祝戸(いわいど)地区東展望台から望む
石舞台の横から、丘に登っていきます。
明日香村の「のどかな家並み」が広がっています。
中央上の山は「甘樫丘(あまかしのおか)、
左の上のきれいな三角錐の山は「畝傍山(うねびやま)」です。 

コメント