高取城 – 日本最強の山城を歩く|近鉄壺阪山駅からの登城ルートと見どころ紹介

高取城の石崖と木と石碑の写真 文化や歴史
スポンサーリンク

NHKで、「日本最強の山城」と紹介されました。

高取城は、近鉄壺阪山駅から歩いて登ることができます。
壺阪山駅は近鉄橿原神宮駅から吉野線で3つ目の駅です。
駅からは、「土佐街道」と呼ばれている昔の街並みが残る道を山に向かって歩いていくと、そのまま登城道につながっていきます。
途中、長屋門や猿石を見ながら、約2時間弱で駅からの標高差460m(高取山の標高は583.3m)を登ることができます。

松の門
登城道の入口です。

植村家長屋門
1826年建立で、江戸時代には高取藩に仕える中間(ちゅうげん)たちが、住んでいました。
現在は、旧高取藩主植村家の住居になっています。

いよいよ上り坂になります。

七曲り
尾根につくられた大手道で、くねくねと曲がっています。
この大手道は、当時は今より道幅は広く、馬や駕籠が行きかっていました。

道にも石垣が組まれています。

このあたりは、長い直線の上り坂が続きます。
この坂は、昔から「一升坂」とよばれています。
「一升坂」という名称は、高取城築城の際に、急坂であるために、石材を運ぶ人夫に米一升を加増したことによると言われています。
それほどの難所でした。

松の門跡

宇陀門跡

千早門跡

大手門跡

日本三大山城説明板がありました。
 大和高取城
 美濃岩村城
 備中松山城
だそうです。

日本で一番「比高」のある山城だそうです。
比高とは、城下町からお城までの標高差で、高取城は446mあります。

お城で見つけた案内板です。奈良産業大学が作成したCGによる「江戸時代のお城」のようすだそうです。
天守閣を備えた壮大なお城だったことがわかります。

十五間多門跡

太鼓櫓跡

本丸跡

本丸跡から吉野山方面(南南東)をのぞむ

本丸から畝傍山方面(北北西)をのぞむ

本丸から金剛山・葛城山方面(西)をのぞむ
右が葛城山、左の少し高い方が金剛山です。

壷阪寺方面に下りていきます。
右は、登ってきた土佐街道(壺阪山駅)への道です。

壷阪口中門跡

五百羅漢

壷阪寺が木々の間から見えてきました。

壷阪寺

壷阪寺
大仏様は、「桜大仏」ともよばれ、桜の季節は特に多くの参拝客でにぎわいます。
紫陽花の時期も、すばらしいです。
西国三十三所第六番札所で、本尊は、眼病に霊験あらたかな観音さまです。
盲目の夫 沢一とその妻 お里の物語である、人形浄瑠璃「壷阪霊験記」によって壷阪寺の名は世に広まり、眼病封じのお寺ともよばれています。

高取の町まで戻ってくると「お里・澤一のお墓」がありました。

お里・沢一の物語
昔、この地に住んでいたと言われる男女をモデルにしたお話です。
盲人であった夫・沢一の目の治癒を願い、壷阪観音に祈りを捧げる妻のお里。毎夜、家を抜け出して密かに観音様に祈願を続けたお里でしたが、そんな妻の行動に疑問を感じた沢一は妻の後をつけます。そこで、けなげに沢一のために祈る妻の姿を見つけます。妻を疑った自分を恥じた沢一は、深い谷に身を投げます。
さらに、それを悲しんだお里も、後を追うように身を投げたそうです。
お互いを想う気持ちから身を投げてしまった二人でしたが、観音様のお慈悲により生き返ることができ、また、沢一の目も見えるようになりました。
このような、観音様のお力と夫婦愛を描いたお話です。

高取の町の土佐街道にある「くすり資料館」
高取は、江戸時代から家庭の置き薬の販売が盛んです。

土佐街道の風景

土佐街道の名前の由来が案内板に紹介されていました。
「六世紀の初め頃、大和朝廷の都づくりの労役で、故郷の土佐の国を離れてこの地に召し出されたものの、任務を終えて帰郷する時には朝廷の援助はなく、帰郷がかなわず、この地に住み着いたところから、「土佐」と名付けられたと思われる。」とのことです。

土佐街道で見つけた、路上の薬草の紹介タイル

コメント