
大神神社

わが国最古の神社と言われている、大和の国の「一の宮」です。
背後の三輪山がご神体で、神殿を設けずに直接に三輪山に祈りを捧げるという、神社の社殿が成立する以前の「神まつり」の様を今に伝えています。
「古事記」によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が、出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、「国づくりを成就させるために、私を大和の国の青垣、東の山の上にまつれ」と三輪山にまつられることを望んだとあります。このように「神」が「神」をまつった神社です。
すべての産業の開発や医薬、酒造、縁結びなど、暮らし全般の守り神です。


大神神社の大鳥居と三輪山
三輪山は、奈良盆地を囲む青垣山の中でも、ひときわ美しい円錐形の山です。
標高467m、周囲16km。
三輪山は、長い間、禁足地で、何人も立ち入ることができませんでした。
しかし、近年、摂社の狭井神社で手続きをしたうえで、登拝させていただけます。
(登山ではなく、登拝と言います)

ご神体の三輪山
大神神社は本殿をもたず、拝殿からご神体の三輪山を拝みます。

正月前の二の鳥居


拝殿に向かう参道です。

拝殿です。
ここから、ご神体のお山を拝します。
本殿はなく、お山そのものが神様です。
写真の右に見えるのが、神杉です。
初詣は、多くの人がお参りをします。




この拝殿の奥に「三ツ鳥居」があり、その鳥居を通して、ご神体の三輪山を拝します。


令和7年巳年の絵馬


手水(ちょうず、てみず)
龍の口から水が出る神社が多いですが、大神神社は、巳さんです。


拝殿横の巳(み)の神杉
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の化身の白蛇が住むことから名づけられたご神木です。
卵やお酒がお供えれています。

御祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が蛇神に姿を変えられた伝承が「日本書紀」などに記載され、蛇神は大物主大神の化身として信仰されています。
巨樹の前に卵や酒が供えされているのは己さんの好物を参拝者が持参して拝まれるからです。

お正月の参拝の様子

拝殿横の喜寿殿・儀式殿・参集殿
日々の祈祷や結婚式を行います。


昔、活玉依毘売(いくたまよりびめ)というとても美しい娘がいました。この娘のもとに、毎夜、立派な若者が通ってくるようになりました。娘の両親は心配して、娘にその若者のことを問いただしましたが、娘は、その方の名前も知りませんでした。
そこで両親は、「次に、その方が訪ねてきたら、寝床の前に赤土をまき、麻糸をその方の着物の裾に付けなさい。」と教えました。
娘がその通りしたところ、朝になると麻糸は、戸の鍵穴を通って外に出ていました。その赤土の付いた赤い糸をたどっていくと、三輪山の神の社まで続いていました。そこで、その若者が三輪山の神・大物主(おおものぬし)であるとわかりました。
この後、活玉依毘売(いくたまよりびめ)は大物主の妻となります。
「運命の赤い糸」は、この物語から始まったそうです。
この案内図の左上には「JR巻向駅(まきむく駅)」があります。
この駅に隣接した左側(西側)に纏向遺跡(まきむく遺跡)があります。
日本の始まり「大和王権」は、ここからスタートしました。
この遺跡は広大な面積を占めており、また発掘された土器のうちの15%は他地域(九州から関東に至る)からのものです。また、付近には、全長276mの巨大前方後円墳である「箸墓(はしはか)古墳」をはじめとして、多くの巨大な前方後円墳が存在します。
また、遺跡からは農耕具がほとんど出土せず、土木工事用の道具が圧倒的に多いことから、日本最初の「都市」と考えられます。
邪馬台国には、九州説と近畿説の二つがあり、江戸時代から論争が続いていますが、近年は高校教科書でも近畿説を主に取り扱っているそうです。
魏志倭人伝では、卑弥呼が使いを238年ごろに魏に送ったとなっています。
箸墓古墳は、3世紀中ごろから末にかけて造られたと考えられていますので、卑弥呼の時代と合致します。
なお、この大和王権の王たちは、毎日、この三輪山(大神神社)に祈りを捧げていたものと思われます。

纏向遺跡の宮殿跡です。

纏向遺跡の案内板

くすり道
拝殿から狭井神社(さいじんじゃ)への参道です。
くすり業者奉納の薬木や薬草が植えられています。
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)は、酒造の神様、縁結びの神様であるとともに、薬の神様としてもよく知られています。





杉玉
大物主大神は、お酒の神様でもあります。
中世以降、大物主大神の力の宿る三輪の杉の葉を束ねて、お酒の蔵元の軒先に吊るす風習が生まれました。
この杉の束が、現在、酒屋さんのシンボルの「杉玉」になりました。
毎年、大神神社から蔵元に「杉玉」が届けられています。

二の鳥居の横にある、三輪そうめんのお店
日本の麵文化のルーツは「三輪そうめん」にあります。
口当たりがなめらかで、腰の強いのが特徴です。

狭井神社(さいじんじゃ)

狭井神社
三輪の神様の荒魂(あらみたま)をまつる神社です。
古来、神様は和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)の二つの面をもつと考えられてきました。
和魂は温和や慈悲の徳を備えている面です。
荒魂は荒々しく猛々しく、時には祟りを及ぼすような面です。
荒魂は、その力強い御威光から、病気を収めていただく神様として信仰を集めています。

三輪山の登拝入口
三輪山は、長い間「禁足地」でしたが、今は登拝が可能です。
三輪山は、登山ではなく、登拝と言います。
1時間弱で山頂に着き、結界の中に磐座(いわくら)があります。
素足で登拝をする方もおられます。


狭井神社の後ろでご神水をいただけます。
この霊泉は三輪山からこんこんと湧き出た霊泉で、清く澄んでいて風味があります。
酒づくりや薬づくりなどに、その霊徳をいただけます。








狭井川
狭井神社の北側には「狭井川」が流れています。
「いすけよりひめ」は、大物主大神の娘で、狭井川のほとりに住んでいました。
神武天皇は即位後、皇后にふさわしい女性を探していたところ、「神の御子」と言われる「いすけよりひめ」をみそめ、狭井川のほとりの家で一夜を過ごし、妻とします。
その後、二人の間には3人の御子が産まれます。
その第3子が第二代の天皇の「綏靖(すいぜい)天皇」です。

神武天皇亡き後、3人の子に危機が迫ります。
そこで、母の「いすけよりひめ」は次のような歌で、その危機を知らせます。
狭井河よ 雲立ち渡り 畝傍山
木の葉騒ぎぬ 風吹かむとす
狭井川の方から雲がやってきて
畝傍山では木の葉がザワザワ音を立てて
大風が吹こうとしている
この歌を聞き、子どもたちは危機を脱することができました。



久延彦神社(くえひこじんじゃ)

久延彦神社
この神社の神様は、久延毘古命(くえびこのみこと)で、古事記に「この世のことはすべて知っている知恵の神様」として登場します。
そこで、学力向上や受験合格を願って、多くの人が参拝し、絵馬を奉納しています。
古事記では、大国主命(おおくにぬしのみこと)の「国造り神話」に登場します。大国主命が「どのようにして国づくりをしたらよいのか」と思案していた時に、波のかなたから「小さな神さま」がやって来られました。誰一人として、その小さな神さまのことを知りませんでしたが、「物知りの久延毘古(くえびこ)なら知っているに違いない」ということになり、呼んで尋ねたところ、「そのお方は、スクナヒコナの神である」と即座に答えました。
なお、この後、スクナヒコナの神は大国主命を助けて、国造りに協力されましたが、突然、常世の国(とこよのくに:異世界)に行ってしまわれました。
大国主命が再び、「これからどうすればよいのか」と思案していると、「大物主大神(おおものぬしのおおかみ)」が現れ、「国づくりを成就させるために、私を大和の国の青垣、東の山の上にまつれ」と三輪山にまつられることを望まれ、大神神社が誕生しました。

大美和の杜(おおみわのもり)

狭井神社から久延彦神社までの間に、この大美和の杜(おおみわのもり)があります。
奈良盆地がよく見渡せます。
とくに、大和三山が美しく見えます。
写真中央に円錐形をした小さな、美しい山が見えます。右が「香久山」、左が「畝傍山」です。
神武天皇が初代天皇に即位し、日本建国を宣言されたのが、畝傍山のふもとです。
その向こうにある二つの山は、右側が「葛城山」、左側が「金剛山」です。

上の写真から振り返ってみると、三輪山の頂がみえます。
写真のように、桜がとてもきれいです。



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