奈良市東部・都祁(つげ)地域の上深川町にある八柱神社(やはしらじんじゃ)では、毎年10月12日の宵宮祭に、古くから伝わる民俗芸能「題目立(だいもくたて)」が奉納されます。
国の重要無形民俗文化財に指定されているほか、2009年(平成21年)にはユネスコ無形文化遺産にも登録されました。
この登録は、日本国内でも比較的早い段階で行われたものです。2008年に能楽・人形浄瑠璃文楽・歌舞伎が初めて登録され、翌2009年には雅楽を含む8件が新たに加えられましたが、題目立はその一つです。
開催情報
開催日:2025年10月12日(日) 宵宮祭の夜
開始時刻:これまで19時開始(21時ごろ終了)
場所:八柱神社(奈良市上深川町511)
問合せ:都祁行政センター(0743-82-0201)
交通アクセス:名阪国道「小倉インター」から約3km(車で約5分)
中世の芸能を今に伝える「語りの舞台」
題目立は、源平の武将を題材とした物語を、出演者が登場人物ごとに台詞を分担して、独特の節回しで語る芸能です。
所作や動作はほとんどなく、出演者がそれぞれの位置に立って静かに物語を語る——その“語り”こそが題目立の最大の魅力です。「語りものが舞台化した初期の形を伝えている」と評されています。
演じるのは、上深川町の17歳前後の青年たち。この地域では、17歳になると神社の伝統的な祭祀組織「宮座(みやざ)」に加入する慣わしがあり、題目立はその座入りに際して奉納される芸能です。
つまり、これは成人儀礼としての意味をもつ祭礼芸能でもあります。若者たちが地域の一員として認められる節目の儀式として、代々受け継がれてきました。
3つの演目と奉納の習わし
上深川には、「厳島(いつくしま)」「大仏供養(だいぶつくよう)」「石橋山(いしばしやま)」の3つの詞章(ししょう)が伝わっています。
上演されるのは通常「厳島」か「大仏供養」で、「厳島」は8人、「大仏供養」は9人で演じられます。
また、社殿の建て替えや修理(造宮=ゾオク)が行われた年から3年間は、「厳島」を奉納するという決まりも今も受け継がれています。
宵宮の夜に響く「みちびき」と「語り」
宵宮祭の夜、出演者たちは神社西隣の元薬寺(がんやくじ)を出発。長老の先導で「みちびき」を謡いながら舞台へ向かいます。
衣装は素襖(すおう:伝統的な男性の衣服で室町時代に成立した直垂(ひたたれ)の一種)に立烏帽子(たてえぼし)、弓を手に扇を襟首に挿すという簡素なものです。
舞台の所定の位置に着き、呼び出し役が「一番 清盛」と告げると、出演者は「我はこれ」「そもそもこれは」と名乗りを上げ、語りが始まります。
物語の終盤では「フショ舞」が舞われます。出演者全員で「よろこび歌」を謡うなか、中央に進み出た一人が扇を高く掲げ、力強く足を踏み鳴らして舞台を一巡。
静寂の中に響く謡と舞が、宵闇の境内に印象的な余韻を残します。
中世から続く語り芸能の原型
題目立がいつ頃始まったかは定かではありませんが、奈良市近隣の古文書『多聞院日記(1576年ごろ)』などに記録が残っており、少なくとも近世初期には上深川で上演されていたことが確認されています。
現存する詞章本の中には、寛永元年(1624)ごろのものを1733年に書き写した写本もあります。
「題目立」という名称は、「ダイモク=名を表す」と江戸時代初めの辞書に記されていることから、登場人物が名を名乗り、順に条目を立てて語る形式に由来すると考えられています。
八柱神社と上深川町
上深川町は、奈良市東部の大和高原の自然豊かな地域。古くは興福寺・春日社の荘園「深川庄」に属していたと伝わります。
現在も農業が盛んなこの地で、地域の青年たちが伝統を守り続ける姿は、まさに“生きた文化遺産”といえるでしょう。
まとめ

語りの声とともに、地域の心を受け継ぐ八柱神社の「題目立」。
ユネスコが認めた世界の文化遺産として、そして上深川の人々の誇りとして——
静かに、しかし確かに息づき続けています。



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